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女性
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表向きは、サーフィン、スノーボード、登山に釣りとアウトドア好きの主婦ですが、
地は、インドア系。
裏の私をお見せします。

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私のマネーライフ〜結婚した!でも転職活動で失敗した><〜

とある社長との出会いで起業家を志すようになった前回
契約を更新しないと決めた時、自分の中の自由度が振り切れて
考え方がアメーバー状に広がって言った。

日本の雇用契約というのは、少し残酷で自分の思考の幅までも狭めてしまう。
(トップダウン、先輩、後輩が生きているため)
気づいている人も多いだろうが、おそらく年金の支給は70歳まで延長されるだろう。
この先日本で働き続けていくのにパターンが見えている

1 70歳まで働く
2 60〜65歳まで働く  ただし70までの5年間、年金ないので国からの収入なし
3 その前に資金を作り退職。生活費の安い所へ移住する 

よって、いかに70歳までの収入を増やして行くか。
給料は増えないので、かしこく副業をするか、運用していくかだ。

副業の仕方や運用方法など、雇用先は教えてくれない。
なので、一度考えをリセットして、
二足のわらじのはきかたを身につけて行きましょう!


====話を戻します=====

転職活動もなんか悩んでいた矢先、
旦那様とめでたくゴールイン。恋は勢い、結婚はスタートライン。

地元に別れを告げ、社宅のある埼玉に住み始める。

ずばり言います。
結婚後の就職活動って、半端なくきつい!

理由
1 結婚したので、自分の優先事項が、着けられなくなったので
何がしたいのか、よくわからなくなった

2 失業保険が欲しかったので、ハロワ中心に就職活動していた

3 資格が運転免許以外になかった

4 家事を優先してやる「べき」だと思い込んでいたので
就業場所が限られてしまった

その結果、グレーな中小企業の今、
煮え切れない気持ちで働いている。(ちーん。半分死んだ目)

まず、転職活動において、いくら自分のライフステージが変わったからと言って
やりたいことを失ってはいけない。
やりたいことを失っていたら、少し呼吸を整えるべきだった。

元R社の自分が、転職活動で失脚するとは思わなかった。
今度、リアルに転職の仕方、情報の見方、登録方法など書こうと思いますが
HWでの転職活動は気をつけてください。身をもって証明しました。

HWで仕事を決めるときは、こちらが会社より
少し上の立場で面接を受けにいっていいかもしれません。
HWでの採用=欠員要因がほとんどで、会社側が困っているからです。
欠員=なんらかの原因がありますので、そこを深堀してください。

HWでの転職活動で押さえておきたいこと
1 過去の掲載回数を調べられるなら調べる
2 従業員数、年齢構成ピラミッドを面接時に聞く。
  歪んでいるようだったら、原因と勤続年数をヒアリングしてください
3 人事制度(面談や異同の有無)まで聞ける様でしたら、聞いてください。
4 最後に、残業のレベル、残業代の申請方法、有休消化率なども聞いてください。
5 そして、面談した人と話していて、空気が合ったか感じてください。


私がお勧めする転職活動は自分の人脈から得た「コネクション」
もしくは、「エージェントサイト」への登録
「求人サイト」からの転職です。
もしくは、「ネオニート」を目指す。


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私のマネーライフ〜リーマンショックがやってきた&起業するの?〜

就職してから、一年目で大手HR企業へ転職し、二年が経った頃。

はい、きましたリーマンショック。。。
ご存知の通り、景気がわるうございました。

企業は、広告費、そして人材の採用を抑え、
新卒内定者の「内定切り」なんかも出てきましたね。

「目標が達成できない」
そんな月が何ヶ月も続きました。
アポとり、社数を増やし、資料を作り込み、クロージングの為に粘ったり。。。
努力は答えてくれるもので、
会社も方針が変わり商材が少し変わったり、システムが変わったりしました。

でも、日が経つに連れ深刻さは明るみになり、私が決断したこと。

元々、契約社員でしたので
契約の延長をしないことにしました。

その結果、契約解消時の「卒業祝い金」が支給されますが無職となります。
私は、それを選択しました。

なぜなら、深夜までの残業に疲れ、週末は酒を飲みに街に出て
地元の為にと思って頑張っていましたが、
「この環境下じゃ無理じゃ〜出直してこよう」と思って、やさぐれていました(笑)

契約を延長しない事で、自分の仕事以外の部分も見えてくる様になり
お客さんとも素直に話せる様になりました。

また、同時期に入社した子のつながりで、
地方の持つ「コミュニティ力」なんかも見えてきて
無理に大きな資本の持つ会社が地方を耕すのではなく
地方だから見える、やれることを、結んであげるこが大切だと気づいたりしました。

こういう気づきがあると、仕事の場でこういう話しかしなくなる(笑)
その結果、仕事の話はこないけど、ビジネスの話は寄ってくる。

ある会社の社長さんが、NPO法人の立ち上げを手伝ってくれると
オファーがあり
資金の斡旋を含め色々手伝っていただけるという話もいただきました。

退職までの間、法人の立ち上げに対する資料集めなども行いましたが
結局、自分の力不足と仲間不足で頓挫し、
話を流してしまいました。(申し訳なかったです)

所謂、1次+2次+3次産業をコラボした第六次産業を立ち上げようとしたのですが
社長と私の間では、話が進むのです。
ですが、社長の他の紹介者との間では、話に発展性がなかった。
一緒に始めるであろう人と話す事で、一気に責任感を感じ、自信がなくなった。
時期が早いとのことでお断りしました。

内容は、塚田農場のAp company さんとほぼ一緒。
農家さんありき、農家さんを養うための、飲食の立ち上げでした。
(ここで大学時代のカフェバー立ち上げのバイトの経験が生かされた)
あの時に感じた、起業することの、わくわく感と責任感は忘れられません。
だから、今の現状(営業事務)に満足いってないのだと思う。

また、社長と呼ばれる方と一緒に過ごす事で、多方面の方とお会いできたり
様々な本を紹介いただいた。

そして、お金の運用についても様々な事を伺った。
●人生の方向性が定まらないと、お金は向かってこない。
●持つべき人にしか、やってこない。
●必要なお金を整理することが大事。他のお金は他人の為に、残りは投資に。

なので、懲りずに株を買い始めました(笑)

ちなみに社長から、お話いただいた本を3つご紹介。




このブログを読まれている方なら、ご紹介も不要かと思いますので、
省略させていただきます。

この場をお借りし、馬場社長へ深く感謝を申し上げます。
人生観や経営観をご教示いただき本当にありがとうございました。
そして、協力できず申し訳ございませんでした。

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私のマネーライフ〜大学生後半〜

大学生後半といっても、一年と三ヶ月くらいしかありませんでしたが
ひたすら、学びたいこと、やってみたいことを見つけました。

その一年で、株式投資とカフェの立ち上げ以外でやったこと

1 とあることがきっかけで、1本だけCMに出ました。
  その結果、スポットで入るロケのオーディエンスを斡旋したり
  バイトを斡旋したり、ちょっとお手伝いをするようになりました。
(ただ、4年生になると忙しくなったので、お断りしました)
業界ってすげー金と人が動くんだ、うひょーって思った。

2 サッカー部のマネージャーをやってみた。
体育会系の80%ムチ、10%アメ、残りは10%はグダグダの現場を経験。
自分も一緒に走ったりしました。いい思い出。
マネージャーがいなかったので、マネージャーという仕事を創った。

3 ゼミの研究出張には、張り切ってついていった。
渡航費タダでハワイにも行った。(自由時間半日だったけど。ごっつぁん)

4 車を買った。
軽自動車を買いました。110万で買って、二回ぶつけ修理しなかったのにも関わらず
4年後に売却したら、65万で売れた。いい買い物でした。
車を買うときには、売却時のことを考えて、買った方が賢いね!

そんなこんなで、早送りするように、学生という立場を楽しみました。

気になる株式投資は
株の勉強もせず、儲かることしか考えなかったことと、
チャートをまめにウォッチできなかったこと
株価イケイケの時代(2006年)で伸びている所への参入でしたのでそんなに儲からず。
そしてライブドア事件。。。

株はおっかないから、配当だけもらって、とりあえず、塩漬けにしよう。

って、大学四年生の時にあきらめました。
このスタート時に、勉強だけしてあれもこれも手を出さずに
しっかりと株のイロハを学習すればよかったものの。。。
学習することを、学習したいい教訓でした。

私のマネーライフ〜大学生後半 スノーボード始めました〜

サークル漬けからバイト漬けだった大学生前半はとりあえず
毎日忙しくて、授業そっちのけでバタバタしていました。

貯金も少し貯まったので、バイトのシフトも減らして
やりたいことをやろうと思った二年生の冬休み、
ウェア、小物類含むスノーボード一式+シーズン券を購入。

当時、友人に言われたことを忘れません。
「どうせやるんだったら、いいのを買った方がいい」

まぁ、バイト二ヶ月分くらい飛びましたが、
信頼できるメーカーのもので全て揃えることができました。
ちなみに、未だにウェアは現役で着る事ができます。
ゴーグルも曇りしらずで、板もブーツもビンディングもスペアで生きています。

今思えば、スタート地点で、自分に合わないもの、機能が十分でないものを購入していたら、
スノーボードを今、やっていないかもしれない。
様々な感覚、自然への尊敬や恐怖心、人との出会い、人生の生き方など、
今当たり前として、感じでいる事が、感じていられないかもしれない。

少し大げさかもしれませんが、
今の旦那とも結婚していなかったかもしれません。

これも、当時お金があったので手に入れる事ができたことのひとつ。
「お金は、つかうときにつかい、貯めるときに貯めるべし。」

大学時代は、素直だし勢いがあったので、これが見えていたけど
社会人になると、様々なものがブレーキとなったり、何がしたいのか見えなくなる。
そして
社会人になると、収入も増えないし、時間も増えない。
この辺を、増やしていくには、人脈と情報収集能力そして実行力が必要ですな。



私のマネーライフ〜高校生編〜




カエルが鳴く田舎に生活する似非ロリータパンク娘だった私の中学校時代。


お金がもったいないので、お洋服をリメイクしてアクセも自分で作って
東京を夢みるのでした。
姉は、高校を卒業し、私立の大学生活へ。うらやましすぎる、一人暮らしです。

田舎の学校でしたので成績が上から5番目くらいだったことと(田舎の高校だったので)
三兄弟の真ん中ということもあり
「国立へ行ってください」という親の熱い視線を受けていた。

なので、高校時代は勉強とか模試とか塾に行き
テスト後めっちゃ友達と遊ぶことしか考えてなかった。
勉強8割 遊び2割みたいな。

ゲームする暇もなく、マンガも興味なく、旅行も行かず3年が経っていた。
女子校でしたので、男気もなく、いい意味でほめ合い馴れ合いの女子校ライフだった。

三年の夏になって、奨学金を借りる面接があった。
無利子で月5万借りれるから受けてきて」って母親に言われるがままで
作文と面接受けて終わった気がする。

結果、無利子で借りることができて、親はほっとしていた。

まぁ、一時はどうなるかと思いましたが、無事国立の大学に合格し
一人暮らしのスタート。

高校生活では、懸賞にはまり、カバンや洋服を当てたり、
図書券もらったりしてました。

使う暇もなかったお金の貯まったゆうちょの通帳と卒業祝いでつくってもらった印鑑を
胸に新しい生活が始まるのでした。